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魚住純子さんが死去。経歴、そして代表作や出演作品は? [芸能]

本日、2015年1月13日午前9時20分

肺炎のため、女優の魚住純子さんが肺炎のため死去されました。
享年81歳とのことです。

今20代、30代の方で魚住純子さんと聞いて、
すぐに誰だか分かる人は多くないのではないでしょうか?

実際に私も初めてお聞きする名前です。

どのような方であったのでしょうか?

少し気になったので調べてみました。

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①魚住純子さんの経歴



【魚住純子さん】

生年月日:1933年6月17日
出身地  :東京都
特技   :華道


都立竹早高校を卒業した後に、
松竹音楽舞踏学校に入学されたそうです。

松竹音楽舞踏学校とは、
1933年に設立された松竹歌劇団の劇団養成学校であり、当時「西の宝塚、東の松竹」と言われるほど人気があったようで、魚住さんが受験した1950年初めの倍率は極めて高く、30倍近くの倍率があったようです。

その高倍率の試験を勝ち抜き見事合格。

その後、学校を卒業した後に東宝芸能に所属し女優として多くの作品に出演されていきます。


現在も、宝塚歌劇団は狭き門であり、実力や将来性がないと入れないのですが、
その当時、同等の人気を誇った松竹音楽舞踏学校に入学された、
魚住さんには天性があったのだと思われますね(>_<)

<魚住純子さん>

file_photo2.jpg





②代表作



魚住純子さんは、数多くの作品に出演されています。

その中でも代表作品として今回は代表作とも言えるひめゆりの塔を紹介させて頂ければと思います。

ひめゆりの塔



ひめゆりの塔は現在までに7作品作られています。

吉永小百合さんが出演された、「あゝひめゆりの塔」も有名ですが
1番初めに世に出された作品は、この魚住純子さんが出演された「ひめゆりの塔」になります。

この作品では、主演ではありませんでしたが、
戦争の悲惨さや、女性との生き様を描いたこの作品は、
脚本が菊池寛賞を受賞するなど、
大きな反響を世間に与えました。

また、1982年には同脚本・同監督にてリメイクも作成されています。


映画だけでなく、

吹替声優

舞台女優

キャスター

リポーター

マルチな才能があり、
他分野で活躍されていたそうです。

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☆最後に



第二次世界大戦を生き抜き、
戦後は女優として生きた魚住純子さん。

死去といった形で魚住さんを知ったことは残念ですが、
魚住純子さんという女優がいたことを学べたことは決して損ではないですよね。

ご冥福をお祈りいたします。

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